ものがたり

第一幕

第一場 アムチトカ島に漂着

幕が上がるとそこはアリューシャン列島のアムチトカ島の海辺である。光太夫達はとにかく助かった喜びでいっぱい、然し何もないわびしい島であった。そこに言葉の全く通じない島民が現れた。島民達が力になろうとしていることが光太夫には判った。早速光太夫は庄蔵、小市に残っている酒を持ってこさせて振舞った。そこでバラード「船乗りの唄」が唄われた。光太夫は白子の浜を思い出して必ず日本に帰国すると胸に誓いながらアリア「必ず故郷に戻って幸せを手に入れよう」と唄う。

第二場 アムチトカ島の波止場

この島はロシア領であった。4年が過ぎ仲間は次々と飢えと寒さのため死んでいった。その時ロシアの商人を乗せた船が来たが、強風と荒波のためその船は大破してしまい次の船がいつ来るか判らなかった。そのロシアの商人ニジーモフが一緒に船を造ってオホーツクへ行かないかと光太夫を誘った。光太夫は決心し島民達の協力を得てロシアの商人達と力を合わせて船を造ってこの島を出ることにした。船が出来上がると光太夫は生き残った9名と共に一筋の希望の光を求めてカムチャッカへと船出した(1787年7月18日)。船の舳先に立った光太夫は「やっと幸せをつかんだぞ」と唄う。

第二幕

第一場 
イルクーツクのラックスマンの屋敷

アムチトカ島を船出してカムチャッカ、更にオホーツクへと苦しい船旅が続いた。オホーツクからは冬のシベリア大陸を馬で横断してイルクーツクに渡った。イルクーツクに着くとすぐに政府に帰国の嘆願書を出したが、何度出してもなしのつぶてだった。その時出会ったのが博物学者のラックスマンである。親子程の年齢差のラックスマンだったが、やがて信頼し合うようになり二人の間には深い友情が生まれた。お互いを讃える「ラックスマンと光太夫の二重唄」が唄われる。ラックスマンにはソフィアと云う純情可憐な娘がいた。いつしか光太夫とソフィアは心を通わせる様になった。帰国の望みとソフィアへの想いの間で光太夫の心は揺れ動いた。それを知るソフィアの気持ちも複雑だった。「ソフィアと光太夫の愛の二重唄」が唄われる。

第二場 
イルクーツクの郊外

ラックスマンの助力にも拘らず帰国願の許可は下りず、最後の手段としてエカテリーナ女帝に直訴しかないと考えたラックスマンは、光太夫をつれてペテルスブルクへ行く事にした。ロシア正教教会の鐘の鳴り渡る中、ラックスマン、光太夫の一行をソフィア、ラックスマン夫人、水夫達、磯吉、新蔵、庄蔵は見送った。その後一行は雪のふりしきるシベリア大陸原野を40日間走り続けることになる。

第三幕 
「白夜のペテルスブルク」の
間奏曲のあと

第一場 
ペテルスブルク宮殿の謁見の間

いよいよ女帝と謁見の日が来た。ラックスマンが、これからは自分自身の力で自らの運命を切り開こうと「はげましのアリア」を唄う。女帝の前に出た光太夫が苦しかった数々の事を訴える。女帝はやさしく暖かい眼差しで光太夫の話を黙って聞いていた。話し終えた時女帝は帰国の許可を与え、未知の国日本に想いを寄せて「桜の花咲く遠い国のアリア」を唄う。光太夫は言葉もなく感激して床に身を伏せる。

第二場 
ペテルスブルクの白夜

それからの毎日は帰国への希望とソフィアとの別れの悲しみの交錯する日々だった。ある日ペテルスブルクの街で見知らぬ着飾った女性に誘われて有名な遊女の館に入り、遊女の唄う「三重奏」、異国の音楽「ポルカ」等を聞く機会を得る。

第四幕

第一場 
オホーツクの波止場

いよいよ夢まで見た帰国の日がやって来た。凍傷で片脚を切断した庄蔵と、ロシア正教に改宗した新蔵は、帰国を諦めロシアに残る決意をする。9年9ヶ月の漂流生活も遂に終わりを迎え、光太夫達の出発を目の前にした別離は断腸の思いだった。ソフィアとの胸の張り裂ける様な別れ、光太夫とソフィアは「心はあなたに残して」を唄い、ソフィアは「悲しみのロマンス(柳の歌)」を切々と唄う。光太夫、磯吉、小市の三人は船上、船は港を離れ針路を日本に向ける。庄蔵、新蔵は波止場にうずくまり、涙ながらに見送っている。ソフィアはラックスマン夫人の胸に頬を埋めて泣いている。

第二場 
江戸奉行所の庭

日本に帰ってすぐに小市は死んだ。江戸に送られた光太夫は幕府から厳しい詮議をうける。決してロシアの事情など他人に話してならぬと外出も禁じられた。ロシアで亡くなった仲間の事、あの苦しかった数々の事、ソフィアとのあの断腸の思いの別れ、ロシアで親切にしてもらった数々の人達への想い、光太夫は改めてあの長い年月は自分の人生にとって何であったのか、余りにも空し過ぎると一人淋しく「痛恨のアリア」を唄う。日本とロシアの架橋になろうとしたその夢は破れ、ソフィアやラックスマンと過ごした楽しかった日々の思い出を胸に抱いて生きていこうと心に誓う。